TARDUS Season. 1 コミューン 

状況は絶望的である。[……]それでも、革命は、断片的な諸実践のうちで、か細いながらもその水脈を保ってきた。各地で戦闘的な運動が歯を食いしばりながら継続され、新たなチャンスの到来が待ち続けられてきた。[……]私たちは、こうした断片的でありながら息の長い諸実践を肯定したかった。「あなたはただしいのだ」と力強く断言したかった。そして、私たちはTARDUSをつくり、理論によってそうすることにした。こうした諸実践が夢見る革命は、ついに理論においても統制を口走りはじめた「マルクス主義」や、戦略を疎かにすることあるいは何もしないことの自己弁護に終始し続けている「アナキズム」の共犯からなる日本語の言説空間には、ほぼ見当たらない。だからTARDUS第一期は、こうした諸実践が共有する方向と理論的に呼応する「コミューン」をテーマに選んで、海外の記事を翻訳した。

コンポジションの戦略:反グローバリゼーション運動以後の組織化の理論

以下に訳したのは、われわれの友人ヒュー・ファレルがILL WILLのために書き下ろし、北米のアトランタの森の防衛——Stop Cop City運動——を分析した、北米の活動家によって参照されつづけているテクストである。それが主題とするのは革命運動の組織化の問題である——これは、ありとあらゆる場所で、切迫した問題となっているように思われる。というのも、じゅうらいの組織化の戦略は、ことごとく崩壊するか敗北してきたからである。われわれは革命運動をどうにかして組織化せねばならず、その組織化の戦略——いかに組織化するかの問いへの応答——を打ち立てねばならない。そうでなければ、勝利の地平は現れない。

場所に根づいた諸闘争のための一つの共通な地平

[……]私たちがしたかったことは、こんなことなのだろうか。他者たちと共に、より自由に生きることは、それとはまったく正反対のことなのではないか。こうした身振りのもたらす単一性、硬直性は、弾圧・介入・分断すべき場所を明示するばかりだ。ここでは善意と真面目さが、むしろ敵を助けるばかりである。[……]いまの世界が差しだしてくる「喜び」など、あらゆる意味で嘘に満ちている。これに対して、ほんとうの単純な喜びもある。友人をこころから信頼できるという喜び。ほんとうのことをしているという喜び。じぶんたちの場所を共につくる喜び。じぶんたちの生き方を共に守る喜び。そのなかでじぶんが変わっていく喜び。

サボタージュと自己組織化:ガザ虐殺と学生運動から考える

 以下につづくインタビューは、イタリアのアウトノミアの思想家であるビフォが、パレスチナ連帯運動について語ったものである。現在もつづくガザでの虐殺は、あらゆる意味で資本主義にもとづくジェノサイドである——それを積極的に駆動する力も、それを消極的に止めることができない力も、資本に基づいていることは確かだ。このような虐殺に対抗するために、さまざまな運動が試みられてきたのはたしかだ。スタンディング、不買運動、投資撤退の要求。とりわけ、このインタビューが行われた2024年5月には、世界各地の大学で、エンキャンプメント運動が広がっていた。反資本主義闘争と反戦運動という点では、この状況は、1968年ともつながりをもっているように思われる——じっさい、そのつながりは、コロンビア大学の占拠に見られるように、闘争の現場において意識的に実践されているものでもあった

ギー・ドゥボール:政治と生の再定位のために

「はじめて会ったその時から、ぼくが君たちふたりをどれだけ愛しているのかを、そしてぼくが君たちを忘れることなど決してないということを、とにかく君にはわかっていてほしい」。ギーがみずから命を絶った後、アリスにこのような言葉を書き送ってから、30年近くが経った。ギーとはじめて会ったのは、1980年代の終わり、モンパルナスにある高級ホテル、ルッテリアのバーだった。ブルジョア的な贅沢にも悪くないところがあって、ギーはそれをちゃっかり楽しむ術を知っていた。だから、かれは、友人たちと会うのにそこを使っていたのだった。そのときのことは、いまでも完璧に思い出すことができる。ぼくたちは、当時ですら悪化しつつあった政治的状況について、細部に至るまで互いの考えをただちに理解しあえた。それも、ほんの少しの言葉だけで。