クリスティン・ロス(2024年11月12日)
訳者序文:
これは、英語を解する友人たちのあいだでもっとも愛されているネットメディアILL WILLに掲載された、クリスティン・ロスへのインタビューの翻訳である。日本語訳も公刊された『コミューン形態(Commune-Form)』(月曜社、2026年)へのよい導入となっているだけでなく、私たちが政治的な身振りについて根本的に考え直すヒントが多く含まれている。
たとえば、私たちは道徳によって欺かれているのではないだろうか。政治的立場がすこしでも違った途端に、対話を打ち切る。ただの立ち話で済むところを大仰な糾弾にしてしまう。はじめから対話をしないために過剰なルールを設定して排除する。挙げ句の果てに、ポケットからスマホを取りだして、SNS上で気炎をあげる。
私たちがしたかったことは、こんなことなのだろうか。他者たちと共に、より自由に生きることは、それとはまったく正反対のことなのではないか。こうした身振りのもたらす単一性、硬直性は、弾圧・介入・分断すべき場所を明示するばかりだ。ここでは善意と真面目さが、むしろ敵を助けるばかりである。
ロスが強調する単純な喜びに立ちかえるべきだろう。いまの世界が差しだしてくる「喜び」など、あらゆる意味で嘘に満ちている。これに対して、ほんとうの単純な喜びもある。友人をこころから信頼できるという喜び。ほんとうのことをしているという喜び。じぶんたちの場所を共につくる喜び。じぶんたちの生き方を共に守る喜び。そのなかでじぶんが変わっていく喜び。
一度落ち着くことが必要だろう。時に差別主義者を厳しくどやしつけねばならないという義務と、すこしの政治的立場の違いを乗り越えて共に生きようとする努力の放棄は、まったく別のことである。そして、今までのやり方を手放すことは、弱さではない。むしろ、しなやかな生成変化へと身をさらすことのできる強さである。
ほんとうの喜びのために、私たちは批判・糾弾しあうのではなく連合しあうべきだ。それがもたらす戦術の多様性が、今までにない力強さをもたらす。力強さは、新たな夢と欲望をつくりだすだろう。ロスは、こうした連合を「コンポジション」と呼ぶ。(「コンポジション」については、本サイトのヒュー・ファレル「コンポジションの戦略」も見てほしい。)
そしてロスは、世界に対して「間違っている」と受動的に「抵抗」することではなく、じぶんたちが喜びを覚える生活を「防衛」することの重要性も説いている。日本各地で生じている再開発反対闘争は、まさに「防衛」である。たとえば、高円寺の再開発反対デモでは、こうスピーチした留学生がいた。「高円寺は、このままでいいと思います」。
ILL WILL:あなたには、1968年5月に関する著作『68年5月とその後——反乱の記憶・表象・現在』(航思社、2014年)がありますね。2023年にフランスで生じた暴動がもっていた強烈な反植民地主義的要素を踏まえたうえで、ご自身のこの著作をどのように評価していらっしゃいますか。というのも、その暴動は、アルジェリアとモロッコにルーツをもつ17歳のナエル・メルズークを警察が虐殺したことに端を発していました。このフランスにおけるメルズークの死と、アメリカにおける警察によるトルトゥギータの虐殺のあいだに繋がりを見ないほうが無理があります。ベネズエラにルーツをもつトルトゥギータは、暴動鎮圧のための訓練施設建設に反対するアトランタの森の保護活動に参加していたのですが、テントのなかで胡座をかいて手を挙げていたにもかかわらず警察に虐殺されたのでした。あるいは、弧を描くようにして回帰してきたメトロポリスへの反植民地的叛乱と、現代のエコロジー的で場所に根ざした諸闘争とのあいだには、どのような関係があるのでしょうか。そして、この回帰のなかで、あなたの「再構成(restitution)」という概念はどのような役割を果たしうるのでしょうか。
Kristin Ross:私のその著作に関して言えば、そうした背景をもつ暴動の反植民地主義的要素を踏まえてもなお、手を加える必要をまったく感じていません。実際、『68年5月とその後』の議論は、とりわけアルジェリアとベトナムでの反植民地戦争が、パリの街頭やヨーロッパ全土、そしてそれを超えて湧き出た蜂起においてもっとも重要な役割を果たしていたということにかかわるものでした。つまりそれは世界規模での「1960年代」だったのです。このことは、いまでは十分に人口に膾炙したといえるでしょうが、私が1990年代後半にこの本を書いていたときはそうではなかったのです。当時、フランスにおいて68年といえば、お粗末なパンツ泥棒ごっこ、夜に女子寮へ入れない男子学生たちが引き起こした大暴れであるというのが大方の理解でしたから。労働者たちのことは、まったくもって視野に入っていませんでした。ベトナムの農民たちはどうだったか。言うまでもありませんね。フランス史上最大のストライキすら「消え」ていました。大手メディアで名をなそうとする、転向した学生指導者たち数人の伝記に焦点を当てたせいです。そのような焦点の当て方は、狭量で、私欲にまみれたものでしかありません。
私の68年に関する考えが本当に変わった点は、ナントのような地方の街で同時に生じていた諸運動へと関心が移ったことによるものでした。この転換については、『コミューン形態』で論じておきました。じぶんたちの街やその郊外を、蜂起的なコミューンとしてつくりなおし、管理し、拡大し、生きる。そのようなことへとともに取りかかったとき、農民たち、学生たち、ストライキする労働者とその家族たちのあいだで、同盟とネットワークのすべてが形づくられたのです。ナントでは、こうしたことが生じていたのです。その経験は長続きしませんでしたが、今日の先どりとしてみれば、首都パリで生じていたことに比べてはるかに重要だったのです。このようにして関心がナントへと移ったとき、もうひとつの歴史の流れにも目を向けはじめることができました。その歴史は、20世紀半ばの労農運動を特徴づけた政治意識にまで立ち戻るものです。こうした意識や方向性によって、当時すでにこの地域は新しい農業左翼)の中心地になっていたのでした。そして、ナントが視野に入ってくるならば、ラルザックの闘争を長い1960年代への付け足しであるとか、60年代のエネルギーの衰退であるとみなすことはもはやできません。いまやラルザックや三里塚での闘争を、20世紀後半からいまに至るまでの歴史全体の布置をつくりなおす出来事としてみなすこともできるでしょう。
さて、あなたがナエル・メルズークとトルトゥギータの死のあいだに見てとっている繋がりが、かれらの死が不必要でありながらも警察の手によってなされたというのとは別なのであれば、それは厳密にいって何であるというのでしょうか。両者の繋がりではなく、両者の違いから出発したって構わないでしょう。警察暴力が増加しているもののまったく望まれてなどいないということに私たちは全面的に同意しているといううえで、メルズークとトルトゥギータの状況はかなり異なっているのですから。少なくとも、トルトゥギータが殺されたのは、警察の訓練施設のために根こそぎにしてしまうことからウィラウニーの森を守ろうとすることにじぶんを捧げるという政治的選択をしていたことが理由でした。私の見るところ、このことが違いになるのです。その決断によって、トルトゥギータには、その身体を占拠に置くこと、それに合わせて日常の実存を変化させることが必要でした。他方で、メルズークは近所をただドライブしていたときに、車を止められて殺されたのです。フランスとアメリカで暮らす無数の有色人種の青年たちにとってもそうであるように、メルズークにとってみれば、そうしたことはいつもの生、そしていつもの死だったのです。私はここで、或る死が、ほかの死よりも衝撃的でないだとか、許すことができないだとか言おうとしているわけではまったくありません。レイシスト的警察権力によるメルズークの殺人は、かれがじぶんの日常生活を送っていたために起きました。このことは、フランスの都市を囲う郊外の植民地的状況がなにも変わっておらず、腐りきっていることをあらためて浮き彫りにしたのです。郊外の住人たちは、暴動でもってそれに適切に反応しましたが。トルトゥギータの死は、要するに活動家の殺人事件です。そしてそれは、アメリカにおいて環境活動家がはじめて国家的に殺されたということになります。
植民地という問いを環境という問いによって分節化しようとする試みについては、手始めにC. L. R ジェームズの『ブラック・ジャコバン』(大村書店、1991年)がもつすぐれた洞察へと立ち戻るのがよいでしょう。その洞察とは、今日の農産複合体の起源が、新世界のプランテーションのシステムのうちにあるというものです。すべては、そこから始まっているのです。
ILL WILL:私たちは、19世紀、20世紀の革命的伝統から、革命を「偉大な出来事」、凝縮された決定的出来事として思考するよう教わりました。だからこそ、そのような出来事が想像できなくなったとき、あるいは叛乱がそこまで至らないときには、鬱や絶望、そしてニヒリズムすら生じてくるおそれがあります。つまり、決定的な革命的切断への欲望が、決定的な破滅への欲望へとかたちを変えてしまうのです。それに代えて、あなたが思い描く革命は、必ずしも全体として生じるのではなく、むしろ部分から部分へ、少しずつ生じうるものである、そうあなたは書いていらっしゃいますね。あなたはまた、私たちが運動というものを考えるうえでの時間的枠組みを伸ばそうとして、挑発的な書き方をしていらっしゃいます。たとえば、占拠としてはZADよりもナントでの長きにわたる空港反対闘争のほうが重要であると説明するときがそうですね。そうした枠組みから思考できれば、革命も、私たちがあらためていまここで取りくむことのできる問題になります。端的に言うと、破滅衝動やニヒリズムは、私たちの時代が革命の本質を誤解していることに基づくのだとあなたは語っているように思えるのです。このことについてもう少し語っていただけますか。この誤解の根深さは何を語っているのでしょう。そして、私たちはそれを正すとしてどのようにすればよいのでしょうか。
Kristin Ross:私たちは、中央にある革命権力からの命令によって私有財産が廃止されるという幻想をとっくの昔に忘却していました。それは、私たちが、惑星中のあらゆる人間にとってのシステムの変化を一挙にして引き起こすような局面としての「革命の秋」を待たなくなったのとちょうど同じことだといえます。資本主義から私たちを解放する中央集権的な計画を想像するのは、資本主義が生活環境に与えた影響を修復するのに求められる技術的解決策を想像するのと同じくらい難しいことです。同じくらい想像できないことがあるとすれば、首都でなされるお行儀の良い「気候を守れ!」パレードの要求に連邦政府が譲歩することくらいでしょう。
そして、あまりに失望が続いて空ろになった左翼は、ニヒリズム、人格の崩壊、生きる意味の喪失に簡単につけこまれます。『コミューン形態』のなかで私がたどったのは、国家が退隠したときに花開く、アルカイックな形式の政治的記憶なのです。このアルカイックな形式こそが、革命に関する別の了解と別の時間性を与えるのだと理解しておくこともできるでしょう。あなたの質問は、これを示唆してくれていましたね。たしかにマルクスもクロポトキンも、アルカイックな形式をそうしたものとみなしていました。すなわち、ふたりの考えでは、コミューン形態は、革命の内実、革命の舞台であると同時に革命をもたらす手段なのです。形式としてのコミューンは、それとして認識可能であるままに無限に変容可能です。つまりそれは、異なる状況や歴史的契機に応じて絶え間なく変化していきます。本書の大部分は、ナントコミューンやStop Cop Cityなど、そうした形式が実例となったいくつかについて、あらためてローカルなものとして捉えたうえで解釈しなおし、そうした実例が響き合う体系を考案することで、そこでの経験やコミューン形態そのものが今日の私たちにも形をなして見てとれるようにする試みなのです。
ですから、失望のせいで空ろになった左翼は、ニヒリズムにつけこまれることもできれば、活動によって埋めあわせることもできます。ミゲル・アバンスールが思い出させてくれたように、活動がそれ自身のユートピア的地平を創造するのです。現在における闘争するための力量と共同的活動のための力量こそが、夢と欲望を創造するのです。逆ではありません。
そして、そうした力量がつくりだす夢と欲望は、民営化された喜びや、国家に認められた喜び、あるいは翌日配達で手に入るしょうもない商品からなる変わり映えしない世界のすべてをもってしたところで、満たされることができません。社会の完全なデジタル化に組み敷かれた世界が、その代償として差しだしてくるようなものでは、じぶんたちの住まう世界についてもの言う権利が根こそぎ失われることの埋めあわせになど、もはやなりようがないのです。
キャンパスでパレスチナ問題に関わる占拠が生じようとするやいなや即座に警察を導入した大学当局がよく知っていたように、それは結局のところ喜びの問いや別の世界の可能性に帰着するのです。ほんとうのことなのです。最近になってフランスの交通担当大臣は、トゥールーズ近くの高速道路建設予定地にZADがつくられようとしていることにコメントするなかで、当局と権力にとって何が重要であるのかを明らかにしていました。「ZADは、幸せになれるやさしい集まりなどではない。祭りでもない。あれは、私有財産と公共空間の基本的なルールを破っているだけだ」。かれの言葉の後半がまぎれもない真実である一方、その前半からにじみでるルサンチマンのなかに、政府の恐れていることがはっきりと露わになっています。かれらが容認できないのは、決められた予定になく、いままでになかった共に生きる喜びの可能性であり、経済、序列、名声に基づいた価値に縛られない人生がもつ可能性なのです。
ILL WILL:『コミューン形態』によって、多くの英語読者が「大地の蜂起」をはじめて知ることになるでしょう。あなたは本書で、この運動が、空港建設反対闘争の勝利ののち「ZADから有機的に育ってきた」そのありようを、描いていらっしゃいます。とはいえ、ひとつの場所を防衛することで国家の政治に介入してきたZADとは異なり、大地の蜂起は、ローカルな諸闘争を支援するために全国的な基盤に基づいて動員する行動です。戦略上のこうした転換と、この転換が「防衛」という概念にとってもつ意味について、お話しいただけませんか。
Kristin Ross:大地の蜂起がZADから有機的に育ってきたと書いたときに私が指摘したかったのは、その「コンポジション」です。それも、ZADで使われるような意味での「コンポジション」なのです。さて、ZADからのオートノミスト、農民連盟のメンバー、「絶滅への反逆」の気候活動家などが、大地の蜂起で合流したひとびとのなかでの主流派となりますが、かれらは固有の背景をもつ別々のグループでした。そうしたグループには、それぞれの政治的なコードや主張があり、しばしば対立するようなそれぞれの活動方針をもっていたのです。しかし、まさにこれこそが、大地の蜂起がもつもっとも大きな強みになります。実力闘争にも、非暴力運動にもこだわらず、遵法闘争にも、非合法闘争にもこだわらない。つまり、方法へのフェティッシュ化がないのです。平等がすべてのグループにわたってランシエール的な意味で「仮定」されており、一緒に活動するのだという決断によって示されてもいることで、それぞれの要素は連帯しながらもそれぞれのしかたで活動することになりました。そのときに、国家が介入して運動をコントロールすることは難しくなったのです。もちろん、昨年もあからさまだったとおり、国家はコントロールしようと試みはするのですが。ZADで生まれた「諸方法が補完しあうこと」としての異種混在性は、大地の現実へと寄り添う能力としなやかさの側に立つのです。
このたった数年で、大地の蜂起はフランス中のとりわけ環境運動と農民運動をつなげながら拡大させてきました。「気候を守れ」といういつもの呼びかけはあまりに抽象的であり、最終的には私たちの力を削ぐことになるという確信に基づいて、大地の蜂起はそうしたスローガンを、文字通り「大地」に足をつけさせ、大地に関する特定のたくらみへと、つまりプラグマティックで組織化された具体的な領土的介入へと接地させようとしてきたのです。こうした介入にとって適切な戦術は、全国的、あるいは運動横断的なレベルで決定されているのではありません。そうではなく、ローカルな諸条件に応答するなかで、直接的に行動へと巻きこまれる住民たちによってつくりだされているのです。今年、大地の蜂起のメンバーたちは、『地震のはじまり(Premières secousses)』と題された本を出版しました。そこでかれらは、運動のこれからの方向性を考えるために、これまでの運動を総括しています。
しかし、「方向性」についていえば、短い活動期間のなかで、かれらはすでに十分つくりだしてきています。大地の蜂起は、党ではなく、社会階級でもありません。誰だって加入することができるのです。この運動は、階級や党の硬直性を避けながら、それでも組織化されています。メンバーたちが努めてきたのは、特定の地域に住まう生き物たちの特殊な必要からして存在する闘争から、グローバルな野心、あるいは方向性をつくりだすことなのです。このことからして、私はかれらを現代におけるコミューン形態と見なしているのです。
『コミューンの贅沢』(2015年)の最後のあたりで、ルクリュやルフランセといったパリ・コミューンを生き延びたひとびとが、ジュラなどの亡命地でおこなっていた数多くの議論を解釈しなおしてみました。それは、パリの街頭で端的に生じていたことを分析し、分類することを意図したものでした。かれらがコミューンを建設するなかで直面した主たる問題とは、地方であれ、マルセイユやサンテティエンヌでも現れたコミューンであれ、つまり当時のどこであれ、ほかの力や集団と「連合する」ためのあらゆる手段が欠けていたことだったのです。パリ・コミューンの参加者たちが極端に孤立してしまったことこそ、生き延びたひとびとの多くの心に残ったもっとも大きな問題でした。その孤立は、ヴェルサイユによる攻撃だけが原因だったのではありません。地方の住民たちに対して、平等主義者が街でやっていたことに関する嘘が吹聴されたことによっても、孤立が進んだのです。言うまでもないことですが、これはインターネットやほかの技術的処置によって解決されるような問題ではありません。孤立することの危険、少人数の仲間の危険、目的をともにする人間たちが教会じみたものを作ってしまう危険は、クロポトキンとルクリュがしばしば指摘するように、コミューン形態にくり返し訪れる危機なのです。ノートル=ダム=デ=ランドのZADの場合、その境界がしごく曖昧であるという性質をもっていたことや、止まることなく押し寄せてくる人間、意見、そして野菜を恒常的に流通させることで、こうした危機は克服されていました。さらには、国家による介入の後にフランス中で湧き出すように現れていたさまざまな支援グループを増加させつつ、それとつながりあうためにZADの住民たちがおこなっていた気遣いも、その克服には重要でした。大地の蜂起が採用している組織化の形式と様態は、こうした歴史と恩恵の上に築かれています。つまり、それまで一緒にやってきた和やかな労働が、協力と愉しみをもたらすような社会的関係を堅固かつ広範に織り成しているのです。大地の蜂起は、そのスキルとエネルギーの大半を、じぶんたちとは異なる政治的コードやアイデンティティをもつひとびとと協働することは可能であるということ、さらにそれこそが望ましくすらあるということを身をもって示すのに費やしています。それも、これまで決してそうしてこなかった、かたくなな「善意」のひとびとに対して示そうとしています。ですから、これは高度に実践的かつ実用的な類の政治的教育なのです。
コミューン形態が実効的でありうるためには、それにふたたび息を吹きこんだうえで、すっかり現代的なものにせねばなりません。たとえば中世のコミューンは、領主たちからは自由でしたが、城壁の内部にいる富裕な商人の利益を生みだすために忙しくしていたばかりか、近くのコミューンからの侵略に対してじぶんたちの領域を防衛するために猛烈な排外主義の仕方で自衛していたのです。大地の蜂起は、効果的にコミューン形態を修正して、私たちが直面する新たな社会的・経済的・環境的条件に突きあわせても有効であるようにしました。古い時代のコミューンがじぶんたちの領域を守るように設計されていたのに対して、コミューン形態の現代的様式は、大地の蜂起の活動によって「連合」されている数多くの領土のなかで、領域横断的にみずからを示しているのです。大地の蜂起は、19世紀のコミューン参加者たちが掴みそこねた「連合」の問題を多くの点で解決してきたと、私はほんとうに考えています。そうすることで、場所に根づいた諸闘争にひとつの共通の地平をつくりだしているのです。
ILL WILL:あなたは「この惑星で尊厳をもって生きるための条件を防衛することは、あらゆる政治的闘争にとって議論の余地ない新たな地平となった」と論じながら、この公理をあなたが「防衛的構築」と呼ぶ新たなスタイルの政治的組織化に繋げておいでです。一方では、ノートル=ダム=デ=ランドのZAD、ルッツェラート、スーザ渓谷、スタンディング・ロックでなされている、わたしたちを勇気づける諸闘争も、あなたの仮説を証しだてているように思われます。しかし同時に、この領土防衛運動は、行動の攻撃的諸形式をつうじて維持されてきたのです。近隣の街への動員、サボタージュ、経営者の家での街頭行動から、緊急停止弁を閉めてしまうこと[訳註:パイプライン建設反対運動でとられた具体的な戦術のひとつ]は言うまでもないとして、工事現場の道具や車両への放火まで……。こうした攻撃的傾向は、大地の蜂起の運動が生じてきたことで前面にせり出してきたようにも思えます。その運動は「武装解除」と語られながらも、時間と場所、衝突の性質まで主体的に決断する活動家たちを参加させているのですから。新たな闘争形式における防御と攻撃の関係をどのように理解なさっていますか。両者の関係は、大きな転換を被ったのでしょうか。
Kristin Ross:実際のところ、農地を防衛したり、共同で保有される資源を守ったり、共有された社会空間を形成したりする運動において攻撃的手段を使用することに矛盾など一切ありません。防衛は、受動的であること、直接行動を避けることを含意しません。むしろ、その正反対なのです。サボタージュや敵の領土への襲撃から、大地の蜂起が「武装解除」と呼ぶもの(「私たちは、私たちを殺そうとするものを攻撃する権利がある」)、そして他の創造的な破壊の諸形式は、民営化、土地や水の汚染、より一般に日常生活で進行中の植民地化と戦うために使われる数多の方法に長く結びついてきたものです。パリ・コミューンに参加したひとびとが、かれらの街をより住みやすくするために、ナポレオンによる帝国主義的大冒険を称える目的で建てられたヴァンドーム広場の円柱を派手にぶち壊したということに立ちかえるだけでよいのです。こうしてかれらがモリスの言うところの「ナポレオン的装飾の基礎部分」を木っ端微塵にしたとき、かれらはじぶんたちの街のなかに純粋な潜在性の空間をつくりだしていたのです。アメリカ南部のアフリカ系アメリカ人やその他のひとびとが、南部連合軍の将軍や奴隷の像をじぶんたちの社会空間から取り除こうとして壊すときも、ほとんど同じことをしています。コモンな場所をあらゆる人間が住めるようにすることや、ルフェーブルなら我有化と呼ぶであろう、ひとびとがじぶん自身で形成した空間を、物理的な意味であれ、社会的な意味であれ「生産する」ことは、政治的主体へと生成するために必要な前提条件なのです。
アン・ボイヤーが『女に抗する衣服』で指摘していますが、モニュメントとは、それ自体で興味を引くものではありません。モニュメントが興味を引くのは、組み合わせの一部としてなのです。つまり、モニュメントは空間を配置しているのです。興味深いのは、周囲の風景がもつ他の側面すべてをモニュメントが積極的に消し去ってしまうそのやり方です。「はっきり知覚できるものそれぞれが、ほとんど知覚できないものをつくりだす」と彼女も書いています。南部出身の黒人たちは、日々の通り道で、南部中に建てられた南部連合のモニュメントの近くをとおるとき、文字通り身を小さくさせられて軽んじられているのです。
問題の所在はそのようなモニュメント化のうちにあります。私たちの舞台を支配しているいくつかの偶像やモニュメントを追いやらねばなりません。私が書くときに努めていることは、この追放に関わります。それは、そうした偶像とは異なる問いや形象を、左翼の歴史のなかで見えるようにするためです。さらにいえば、こうした形象を「解放」し、防衛するためなのです。過去の革命的出来事のまわりに凍りついている先入観を大地から取り去ってしまうためには、ある程度壊してしまうことが必要なのです。たとえば、68年5月は国家にとって無害だったとか、パリ・コミューンは反プロイセン共和主義者による発作で盛りあがったとか、そういう先入観は端的に壊さなければなりません。そして、反動的で歴史修正主義的な歴史語りの政治的目的は、奴隷商人たちの像が建てられている目的と同じです。つまりそれは、古びた瞬間のなかで、今にも呼び起こされようと待ち構えている潜在的なものを、抑圧することが目的なのです。ですから、そんなものは壊してしまうのが、比喩的にも文字通りにも、はじめの一歩としてすぐれていることになります。
『コミューン形態』でも論じましたが、ほんとうの対立は防衛と攻撃ではなく、防衛する行為それ自体と別の政治的行為のあいだにあるのです。そして、私たちはしばしば、別の政治的行為のほうを執り行うように呼びかけられます。その政治的行為とは、抵抗する行為にほかなりません。私が強く興味をひかれるのは、ポスト生産主義的世界を建設するために開始されねばならないだろう連帯のありかたです。ノートル=ダム=デ=ランドの実践でもっとも感動的だったのは、まったくもって多様な諸グループや諸個人がともに織りなす連帯のひとつの形式がつくりだされていたことだったのです。私は、その創造を現地で経験しました。活動、プロセス、そして社会関係の組み合わせとしての防衛することは、しなやかに実効的であるがゆえに、「抵抗」に基づく運動や態度よりもよっぽど強固な連帯を生みだしていると私には思えました。防衛するなかで、私たちは課題を設定していきます。それは、ほんとうに価値のあるものを見極めることによってしか、つまり、市場や国家につくられた現存の価値尺度を超えてしまうな価値尺度を用いることでしか、設定できないものなのです。私たちはじぶんが大切にするものや、花開いてほしいものから出発します。しかし抵抗のほうは、そうした課題の決定を国家に委ねてしまっています。そうなると、勝負はすでについているのです。国家はいくらでも手札の切りようがあるのですから。